「氣」の話
ずいぶん以前から「氣」に興味を持っている。
「氣」は世の中の色々なことと結びついており大変おもしろい。
ということで、今日は「氣」の話を。
昔、「気」は「氣」と書かれていた。
「気」のつく言葉はたくさんあるが、たとえば
元気、陰気、陽気、勇気、活気、本気、気流、気圧、気候、天気…、
どの言葉もエネルギーと関係していそうな言葉だ。
さて、「氣」と「気」、このふたつの違いは何なのか?
調べ魔である私は以前それについて調べてみた。
「氣」の中にある米という文字は縁起が良い末広がり、そして米は日本人の主食であり、食すと体のエネルギー源となる。そういうわけで
「氣」という文字は四方八方に広がるエネルギーを示す文字であった。
第二次世界大戦で日本は敗戦したが、日本人の強靭な精神力や意識は恐れられ、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は軍国主義を廃止し、教育改革を行った。
このとき、「氣」は「気」と書くよう変更された。
「気」の中にある〆という文字は手紙の封をするときに使われている〆る(しめる)である。〆は広がりを断ち、エネルギーを抑え込む意がある。
「氣」が「気」に変わったことで文字そのものが持つエネルギーはいくらか封じ込められてしまった感がある。しかし、言葉そのものが持つエネルギーはなくなることはない。
ところで、アニメ『ドラゴンボール』に出てくる「かめはめ波」や「元気玉」、これらは「氣」のエネルギーによる技である。
「氣」のエネルギーは今のところ科学では証明できない、証明されていない。
しかし現実社会において、「かめはめ波」のように「氣」のエネルギーを発動している瞬間があるように思う。
たとえば紙を重ねてホッチキスで綴じる時。
紙の枚数が多くなってくるとホッチキスの針は最後まで貫通せず、失敗することが多い。その上、何も考えず何気な~くやるとさらに失敗は多くなる。
しかし綴じる瞬間に、紙とホッチキス、自分の手元、ホッチキスの針先に意識を集中し、「今から綴じるぞ!絶対に一度で綴じてやる!」と強く念じて行う(コツは綴じたい気持ちをホッチキスの針先にまで導くようにする)とどうだろう?
少々ぶ厚いものでも一発でちゃんと綴じれたりするではないか。
このとき、科学で証明される宇宙上のあらゆるエネルギーの法則にのっとって紙は綴じられる。しかしそれだけであろうか?
科学では証明されていない意識や概念によるエネルギーも同時に作用し、働いているに違いない、と思えるのだ。
球技スポーツにおける「一球入魂」にしても、極限状態で無意識下で発揮される「火事場の馬鹿力」にしても、同様に思える。
「氣」の概念についてまで語っていると記事が膨大になりそうなので今日はやめておこう。
ちなみに、いつか大きな「かめはめ波」を発動してみたいなぁ~、と本気で思う阿呆なのであった。