月 を愛でながら
月 を愛でながら つれづれ
昨夜と今日の夜、「 月 が綺麗だな」とぼーっと眺めていた。
あまりに綺麗なので、ちょいと写真におさめておこう、とiPhoneのカメラでパシャリ。
いや~、三脚なし、手持ちの状態でこのような写真が撮れるとは、iPhone(7plus)のカメラの性能にはいつも驚く。
それにしても、月はいつ見ても何かしら神秘的である。
地球の衛星ということもあってか、何かしら親近感もある。
月が満月、半月、三日月、上弦、下弦、…と形が変わるのは、月と太陽と地球の位置によるものだ。子供の頃に理科の授業で習った。
月と太陽と地球はそれぞれが自転し、地球は太陽の周りを回り(公転)、月は地球の周りを回っている。
が、よくよく考えてみるとこれは実に面白い。
これら宇宙のもろもろの営みが、今現在をつくりあげ、自然、生物、人間が存在している。
もし、どこかで何かが少しでも違っていたら、今頃宇宙には人間の存在はなく、月を愛でることもなかったであろう。
こうして月を見て「綺麗だ」、と感じるのは私が人間だからである。
ともすれば忘れがちなことであるが、人間は宇宙に生かされている生命体のひとつ、宇宙にたくさんある命のうちのひとつ、だ。
それとともに、宇宙に生き残っている生命体のうちのひとつ、だ。
この貴重な生命体である人間には、人間がゆえの喜び、楽しみ、悲しみ、不安、憎しみ、悩み…、ほか様々な感情がある。
だから日々、楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、腹が立つこと…、色々な出来事がある。
事件や事故も起きる。
しかし、どんなことがあっても変わらないのは、
この宇宙に生きるものは、それぞれが選ばれて生を受けた存在であり、その命が稀有であり貴重である、ということだ。
このところ、自殺サイトの報道などをよく目にすることがあってか、ふとそんなことを思い起こした。
学校で教わることが増えても、身近な自然や風景から何かを思い、学び取る機会はどんどん少なくなってきているように思えている。
ある種、社会の歪みの表れかもしれない。
この世に人間として存在している由縁(ユエン)を考えれば、日々の悩みや苦しみは、少しばかり小さくなるのではないだろうか、
そんな風に思えた夜であった。
明け方の月
【おまけ】
自転、公転について
ほとんどの天体は回っている(公転、自転している)。
太陽系自身も銀河系の中心の周りを公転している。
例外として「はくちょう座X-1」は自転していない。
天王星は回っているが、なんと横に回っている。
ブラックホールには回るのと、回らないものがある。
(ブラックホールについてはまた別の機会に詳しく綴りたい。)