出稼ぎ・後編 (おいたちより)

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出稼ぎの地に着いたが初日から「信じられな~い」の連続。
翌朝廊下を歩いていると、たくさんある部屋の壁の向こう側から「〇×▲※☆…!」「☆※☆〇×…!」と聞いたことがない国の会話が聞こえてくる。あらゆる国の人がここに居るのか?と思えるくらい色んな言語。
当時、違法就労が結構問題になっていたが「これは相当ヤバイ所にきてしまったのでは?」と思った。

その日の夜の入浴、「生活用品は揃っているので体ひとつでいい」という面接時の説明に従い、本当に体ひとつで来てしまった私は早速この組織からタオル、石鹸、シャンプー、洗面器を購入。(生活備品は全てここで購入、電気代、水道代、食事代etcは借金、もしくは給料天引きという形。)

浴場に行くと浴槽がふたつあった。
「湯」のマークが入ったのれんの画「こっちが日本人用の浴槽で、むこうは外国人用の浴槽よ」と同じ部屋の先輩が教えてくれる。
入浴しているとお肌が黄、白、黒、あらゆるお国の方々が浴場に訪れる。しかも皆さん、超ビビッドでカラフルなビキニとパンティーをつけたままのシャワー浴。
え?外国の方々は下着をつけたままお風呂に入るんのか?と驚く。(水着だったのかもしれない。)日本人のように浴槽につかる人は居なかった。

一週間たっても「待機」ということで仕事に就かせてもらえず、手持ちのお金がわずかになってきた。働いている人はというと、朝の4時頃から働き、夜12時を回ってもまだ働いていることもあった。
さぞかし儲かるのでは?と聞くと、「何年も働いてきたが毎月ここでの生活費を支払うと残りはない。貯金は出来ない。故郷に帰りたくても帰れない」と言う。
「何とか早くここから抜け出さなければ…」と思った。
しかし帰りの旅費はない。行きの旅費も借金の一部に充てられている。

私を面接した担当者に公衆電話から電話する。(当時携帯電話はまだない。)
「話が全く違うんですが、どういうことですか?」と尋ねても、「私にそのようなことを言われましても…」と担当者は知らぬ存ぜぬの一点張りで、お話にならなかった。
その後、半泣きで母に電話した。「そう言われてもねぇ…。そんな大金(行き帰りの旅費)はうちにはないし…、困ったわねぇ…」とそれだけであった。

=脱出=
なんとかしなければならない、しかしどうすればよいものか…。
母との電話を切ったあと、私は中学校の頃からのペンフレンドに電話した。
そして現状を伝えた。

「すぐにそこを出て!帰りの旅費はこっちで用意する。近くに○○駅があるからそこへ行って。こちらもそこへ向かうから」
こうして駅でおちあう約束をした。

いよいよ脱出である。
しかしアホで律儀な私は「黙って逃げるのはよくない」と思い、ビルの最上階の部屋に挨拶にいった。
ノックしてドアを開け、ただ一言「辞めます!」と告げるとくるりと背を向け、そのあとは後ろをふり返らずにとにかくダッシュで走った。

背中で「おい、待て、こらぁ!」とか聞こえた。
けど、とにかく一目散で走った。(挨拶するというよりも、逃亡である。)
ビルを出てからも後ろを振り返らずとにかく走った。
約束の駅までとにかく走った。必死で走って逃げるSun

ペンフレンドは新幹線に乗って約束の駅に来てくれていた。
帰りの切符を彼からもらった。
私は西行きの新幹線、彼は東行きの新幹線、互いに帰路についた。
こうして私は帰郷することができたのだった。

この出稼ぎ騒動は、当時の社会の裏側を垣間見たような経験、出来事であった。