さすらいの仕事人(おいたちより)
離婚後、約束した養育費が支払われることはなかった。
収入は全くなかった。が、子どもが人間を極度に怖がるため保育園に預けることは出来ず、働きに出るのは不可能だった。
この間の生活は、出産前の長期入院で得た生命保険の入院給付金でなんとか食いつないだ。
子どもが5歳の頃、人間に対する恐怖心を克服し保育園に通えるようになった。
私はさっそく仕事、働き口を探した。
はじめに結婚前にやっていたプログラマーの仕事をあたってみた。
5年以上のブランク、その間パソコンに触れる機会も全くなかった。
当時この業界(IT業界)は日進月歩でめざましく変化、発展していた。
私は完全に浦島太郎になっていた。
当然ながら、どこを応募してもことごとく不採用であった。(IT業界、パソコンの今昔については後日また詳しく綴ろうと思う。)
気を取り直し他の職種で探すことにした。
バブル時は引く手があまたであった求人が、バブル崩壊後は大学の新卒者でさえ就職に困る状態であり、一日に2社、3社と面接を受けても働き口はなかなか見つからなかった。
そして最終的には、こちらから望まなくとも「うちで働きませんか?」と招いてくれる業種、生命保険会社のセールスレディとして働き始めることにした。
勤めていた保険会社は、その月のノルマを達成していればあとの時間は自由に過ごしてOKだった。子どもの体調が悪いとき、保育園の行事の日も気兼ねなく休みをとることができた。
そのかわり、ノルマは非常にきつかった。
会社は「ノルマを達成するには親族や知り合いに保険に入ってもらいましょう」と勧めていた。実際にそうしてノルマを達成している人がほとんどであった。
しかし義理立てで親族や知り合いに保険に加入してもらう、というのはどうも性に合わない。
そこで私は、毎日住宅地図を色ペンで塗りつぶしながら、お宅や会社をくまなく一軒一軒まわってセールスした。
自分の成績やノルマにこだわらず、お客さんにマッチする保険を勧めた。
そうしているとそのうちにお客さんの方から「保険に入りたい」と声をかけてくださることがあった。
生命保険の仕事のノルマは、お客さんが加入する保険の保険金額(死亡時に支払われる金額)が計上される。
仮にノルマが5000万円なら、ひとりの人が5000万円の保険に加入すればノルマが達成できる。
1000万円の保険だと5人(5件)の加入が必要になる。
(必要以上に大きな保障を勧められる理由はここにある。)
ノルマにこだわらないセールスは、とにかく件数を積み重ねる必要があった。
やがてノルマがどんどん上がっていくにつれ、毎夜ノルマに追われる悪夢を見るようになり、元々押しが弱い性格ということもあって、この仕事が一生の仕事になることはなかった。
これ以降、私はさまざまな仕事に就いた。
しかしどれも長続き出来ず、そのたびにまた一から仕事探しをしている。
さまざまな仕事の中には「安全靴にヘルメット着用」のガテン系の仕事もある。
さながら「さすらいの仕事人」なのであった…。
(その他の仕事の話はまたおいおいに。)