「母と私の骨折」
二年前、また母が骨折した。(前回記事「母の骨折」はこちらにあり。)
仕事中にあわてて物を手に取ろうとし、足元に置いてあった段ボール箱をまたいで手をのばした。
しかしまたいだつもりが、足がそれほど上がっておらず、ちゃんとまたぎきれていなかった。(私もそうだが、歳をとるとこういうことは多くなる。)
そのため転倒し、左足の甲の骨(中足骨:ちゅうそくこつ)を骨折した。
前回の骨折から半年、6回目の骨折である。
さすがに頭に来てしまった私は、病室に母の着替えを持って行った際、「気をつけないからよ!あわてて動くからこうなるのよ!」と母を叱った。
大部屋だったので同室に居たおばちゃんが「お母ちゃんかて、転ぼうと思って転んだわけじゃない。そんなにキツク言ったらかわいそう」と言った。
「でも、これで6回目なんですよ。さすがに…。」そう言って私は病室をあとにした。
それから一週間ほどたったある日、
朝、私はいつものように勤務先に出勤し、ロッカールームで制服に着替え、ロッカール―ムから出た。
ロッカールームを出たフロアの床はフロアカーペット敷きである。
いつもは綿100%の靴下を履いていたが、その日はナイロン(ストッキング地)の靴下を履いていた。
ロッカールームを出た途端、ナイロンの靴下がフロアカーペット上でツルッと滑り、その場で思いっきり転倒してしまった。
その後、立ち上がることは出来たものの、足が前に出ない、歩けない。
足がみるみるうちに腫れてきた。
「これはマズイ…」
即座にそう思った。
会社の人に病院に連れて行ってもらった。レントゲンを撮った。
医師:「バキバキに折れてますね。」
骨折確定。しかもバキバキに…、である。粉砕骨折であった。
「気をつけないからよ!」母にそう言ったことがちょっと頭によぎった。
「入院が必要」ということだったが、診てもらった病院は入院施設がなかった。
紹介状を書くので病院を決めてください、ということだった。
妹たちから「着替えとか持っていくのに、別々の病院だと困る。お母さんと同じ病院に入院して。」と頼まれた。
母が入院している病院宛てに紹介状を書いてもらった。
母が入院する病院での診察を終えた。
私は父戸籍の姓であり、母とは苗字が違う。
なので、病院には「母も入院しています」とは伝えなかった。
入院する部屋が決まった。
最悪である。母と同じ部屋である。
ベッドも決まった。
最悪である。母の真横のベッドである。
足にギプスの状態で病室に入った途端、あのおばちゃんが「あらっ!あんた、足、どうしたん?」と言うので、「こけました。折れました。」と伝えた。
「バチが当たったんやでー。それであんた、お母ちゃんの隣のベッドかい。気の毒やけど、おもろいわー」、とおばちゃんは大ウケである。
私は足の甲の骨(中足骨:ちゅうそくこつ)を骨折していた。なんたることか、母と同じところである。
母は左足、私は右足、の骨折だった。
おばちゃんとの会話に続き、次に母が「あんた、ちょうどいいわ。これ使ったらいいわー」と自分のスリッパの片方をくれた。
ワンペアのスリッパを、親子で片方づつ使えるわけである。
実は私は、昔から母とはウマが合わない。
病院には親子だとは伝えていなかったが、隣同士のベッドで派手に口喧嘩しているのを度々目撃され、「しかも顔も似ているんじゃないか」ということで、じきに親子であることはばれた。
事実を知り、病院スタッフも大ウケであった。
いつも何かと話題が尽きない我が家だが、この一件も「毎回いろんな話題を提供してくれるけど、おもろすぎ~!」と周囲には大ウケであった。
しかし私にとっては、「まさかこんなことになるなんて…」という出来事であったことは言うまでもない。
最後に、そのとき撮った記念写真を載せておこう。