見納めの紅葉。 年の瀬 近し。
見納めの紅葉 と 年の瀬 。
年の瀬 が近くなってきたのを感じる今日この頃。
昨日、そろそろ見納めであろう紅葉の景色を写真に収める。
家の近隣の身近な山である。
こうして毎年遠出せずして、家の近所の山の紅葉を楽しんでいる。
(遠出して雄大な紅葉の景色もおがんでみたいものだが、様々な面で余裕がない私である。)
12月に入った時点でこんな感じで紅葉が見られていることから、今年の紅葉は例年より少し遅めであった。
そろそろ見納め、あと一週間もすれば山全体の色がだんだん茶色く変わっていくことだろう。
そして春になると、今度はヤマザクラで桜色に染まる。
日本の繊細な四季の移り変わりをありがたく思うひとときである。
季節の移り変わりとともに、今年も色々なことがあった。
それらは現在進行形のこともあり、過去完了形となったこともありだ。
そしてついこの間、新年が明けたかのように思えるのだが、はや年の瀬を迎える時期が近づいてきた。
年の瀬とは慌ただしく忙しい年の暮れを表わす言葉だが、時期としては12月中旬以降を指すことが多いらしい。
年の瀬とは?年の瀬の語源
年の瀬の「瀬」は川の瀬である。
川の流れが緩やかで深いところは淵と呼び、川の流れが速く浅い場所は瀬と呼ぶが、瀬は流れが急で速いので舟で行くにはとても危険で困難なところである。
年の瀬はそれを例えたものである。
時は大昔にさかのぼる。
江戸時代、商品を買う時は代金を後払いにする、いわゆる「ツケ」の買い物が多かったそうだ。
そして、ツケの代金は年末にまとめて清算することが多かった。
そのため人々は、年末が差し迫ってくると「ツケをちゃんと支払って、無事に年が越せるかどうか」という問題に直面していた。
たまったツケの支払いをいちどに済ませるのは大変なことである。
慌ただしい金銭の調達、その大変さと困難な様子を、流れが速い川の瀬にたとえ、年の暮れを「年の瀬」と表現するようになったようである。
「今年のツケは今年のうちに」というわけだが、年末のお掃除グッズのCM「今年の汚れ、今年のうちに」と同様、いかにも日本人らしい美徳の表れである。
かく言う私、
先日、年末近くになると混むと思われる美容院に早々と行ってきた。
年内に散髪してスッキリしようとは「いかにも日本人」である。
そんな「いかにも日本人」の私は、車の洗車も年内のうちに済ませておきたい。
だが、思うだけで実行には至らない年が結構あったりする。
年末近くになると洗車場が異常なまでに混雑する。
その混雑で洗車する気力を喪失してしまう。
これはうどんについても同様で、
うどん屋でうどんを食べるため行列に並ぶ。
しかし、それより前に「うどんを食べる闘志」を失している。
これというのも、実は子どもの頃から
人生の荒波に揉まれるのはへっちゃらであるのに、
人の波に揉まれると船酔いのように酔ってしまう人間なのである。
年の瀬、年の初めはあちこちで人の波が見られ、人の波が多い時期だが、なるべく人波を避けている私である。
ちなみに、実際の船酔い、乗り物酔いというのは皆無に近い。
(一度だけ、漁師さんもビビる荒波の中で船釣りをした際、酔ったことがある。この時、漁師さんたちが私より先にデロデロに酔い、結構しぶとい私に皆驚いておられたのだった。この他釣りの話題はカテゴリー「釣り」にあり。)