痛恨のミス
途中で降り始めた雪は豪雪となり、父の元に行くまでにかなり時間を要した。
雪道をかなりのスピードでとばしていたが、亡くなったという知らせを受けて、その後はあわてず安全運転で行くことにした。
だが、その間に義母から何度も電話がある。
「遅くても11時までに病院に到着するように。それよりも遅くなれば、こちらでお父さんを別の場所に移動しますから」と言い、慌てている様子であった。
理由を聞くと「霊安室が混んでいるからだ」と義母は答えた。
「亡くなったあとでそんなに慌てるなんて、何かおかしくない?」、このとき妹が不思議そうに言った。
(後になって色々と分かったが、「霊安室が混んでいるから早く来い」なんて、全くもっておかしな話である。)
病院に着いた。
病院に着くなり多くの看護スタッフから「お父さんはずっとあなたたちのことを待っていたのよ!」「今までずっと連絡していたのに、どうして会いに来てあげなかったの?!」と叱責を受ける。
看護スタッフらは憤っており、涙を流している人も居た。
早く、と言っても「これが精一杯」だった。何がなんだかわけがわからず、そう答えるのが精一杯だった。
霊安室に案内される。
そこで医師から「死因が不明なので解剖されますか?」と問われた。
ものごころついてから身内を亡くしたのはこれが初めてだった。
病院で亡くなるとそう聞かれる「解剖するか?」と聞かれるものだと思った。
息のない父の横に居て、私はその後のことをよく覚えていない。
きょうだいの話では、その時に私は「解剖しなくていいです。」と答えたそうである。
自分ではそう答えたことなど全く覚えていない。
よほど気が動転していたのであろう。
妹たちは「えっ?!どうして解剖しないの?」と思ったそうだが、お父さん子であった姉のたっての望みを遮ることは出来なかったそうである。
あまりに気が動転して全く覚えがなかったにせよ、これは私にとって、痛恨のミスとなったのであった。(つづく)