余命宣告
おいたちを順を追って綴り、今は25年ほど昔の時点である。(やっとここまで来た。しかし歳をとったなぁ~)
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ある日、母の友人から「(母が)食あたりと思える症状なので病院に連れて行った、そしたらすぐ入院になった」と連絡が入る。
その後、「ご家族で説明を聞きに来てください」と病院からの電話。
子供達だけでは不安だろうと、母の姉(叔母)が遠方から飛行機に乗ってわざわざ来てくれた。一緒に医師の話を聞いた。
「長くてあと3ヵ月です。」
医師がそう言った。
「ひとくちに癌といっても色々な種類の癌があるのだが、その中でも特にタチが悪い癌におかされている」ということだった。
「胃をほとんど全部切ることになりますが手術しますか?」という医師の言葉に、「手術してください!」と私たちきょうだいと叔母はハモって答えていた。
叔母は「ええ、胃の全部でも構いません、腸まで切ってもいいです。とにかく切れるだけ切ってください!」と医師に強く頼んでいた。
最近は治療を乗り越える上で本人の意思も必要ということで、本人に告知されるようになってきたが、当時は本人には内緒にしておくことが多かった。
告知についてきょうだいで話し合い「本人に知らせるのはやめておこう」ということになった。
しかし母は「自分は癌じゃないのか?」と何度も何度もひつこく聞いてきた。
「違うよ」、私たちは必死でかくそうとしていたが、母は「自分は癌だ」と思っていたそうだ。
後に分かったことだが、これより半年ほど前、母が腹部を押さえて痛がるのを何人かの知り合いが目撃していた。病院に行くよう勧めたが「ただの胃痛だから」と答えていたそうだ。
その後、職場の健康診断(バリウム透視)でひっかかり、「要精密検査」の結果が出ていたにも関わらず、仕事と生活に追われて病院に行くことはなく、そのままほったらかしになっていた。(母はとにかく病院嫌いである。)
手術で胃の入り口から出口まで全部切除した。
切除した胃の病巣を顕微鏡で見せてくれた。
病巣はわずか1cm四方、その1cm四方の中にいくつかの転移が見られた。
「スキルスという癌です。あと一週間遅かったら、胃の中にとどまらず周囲に転移していたでしょう。余分と思えるほど切除して正解でした。お母さん、きっと助かりますよ。今後5年間様子を見て、再発・転移がなければ大丈夫でしょう」そういう説明だった。
もし助かっていなかったら、病名も知らぬまま本人が何の準備も出来ずまま旅立つというのはどうだろう?あとになってそう思った。(それまではそこまで考える余裕はなかった。)
しかし母は遺言状や生命保険の証書やら、ちゃんと整理し準備してあった。
その後再発することなく10年経過したとき、癌であったと母に明かした。
「やっぱりねー。絶対そうだと思っていた。しかしあんたたち、かくすのが上手かったわ」と母は笑った。
当時はみんな泣くのを必死に我慢しながら母に付き添い、病室から出るとすぐに泣いていた。
余命3ヵ月とはいったいなんだったのか。
たまたまであったにせよ、こういったこともあるのかと驚いた。
99%だめであったとしても1%でもいい、助かってほしい、とその時は思っていた。
まさかそれが現実になるとは。
病院嫌いの母を無理やり病院に連れて行ってくれた母の友人、切れるだけ切って下さい!と医師に頼んでくれた叔母、早急に発見し執刀してくれた医師、病院。
人の命にかぎったことでなく、日常の大したことがない事柄においても、そのひとつひとつが絡み合って奇跡は起こりうる。
私はそんな風に思えるのであった。(つづきはまた)