父からの プレゼント
思わぬ父からの プレゼント
受け取った プレゼント とは…
(前回の話はこちら)
父が亡くなったのは土曜日の午前5時ごろ、私が病院に着いたのは昼前だった。
本来なら土日は役場がお休みだが、死亡届の受付は午前中のみやっていた。
観測史上60年ぶりの大雪で、町の道路が混乱・混雑している中、私たちが病院で父の死を確認するやいなや、義母は慌てて父の死亡届を役場に提出しに行った。
土曜日の午前中に死亡届が受理され、火葬許可証を手にした義母は、翌日曜日の昼に父を火葬した。
日本の法律では、死後24時間以内は火葬出来ないことになっている。
24時間は経過していたが、真夏ではあるまいし、遺体を焼くのがあまりに早いと思えた。
私の娘は「じいちゃん、もう焼いちゃうの?早すぎるよ~」と泣きじゃくっていた。
すぐに火葬したことについて、葬儀屋から「こちらの地域の風習で、先にお骨にしてお別れすることになっていますので」と説明を受けた。
それから「いろいろとご事情がおありということなので、こちらで出来る限りのことをさせて頂きます」と葬儀屋から説明があった。
「いろいろと事情?」と思ったが、あとはすべて義母が段取りした通りにすすめられた。
父は遺影もなかった。
枕経もあげず、葬儀会場ではなく、親族待合室を間借りしてのお別れ。葬儀は行われなかった。
病院で履かされていた紙オムツをつけたままだった。
父はメガネがないと何も見えないのでいつも眼鏡をかけていたが、眼鏡もかけずままだった。
「目が見えんのに、三途の川、ちゃんと渡れるんやろうか?」、末妹が言った。
ご近所の方や知り合いなど、お別れしたい人が居るのではないかと義母に言ったが、「今後、お父さんが死んだことは親戚にも知り合いにも、誰一人に一切話すな!これがお父さんの遺言だ。」と義母が言った。
まさに「死人に口なし」であった。
遺品を整理したい、とお願いしたが父宅に行くことも許されなかった。
外は季節遅れの大雪。葬儀場に居たのは私たち家族だけだった。
許可をもらって葬儀屋の駐車場で、ワイワイ、キャーキャーと子どもたちと雪だるま作り、雪合戦もして遊んだ。
子どもの頃、お父さん、お母さん、家族みんなでそうやって遊んだ。
周囲には、とっても不謹慎、且つ、ふざけたファミリーに見てとれたかもしれない。だが、雪は
じいちゃんのことを忘れないで!
雪を見たらじいちゃんを思い出して!
と、まだ幼い孫たちの為に、父が企てた演出、父からのプレゼントのように思えた。
雪で一般道も通行止めとなり、しばし四国に帰れなくなった。
「もう少しここに居て」父が別れを惜しんでいるかのようにも思えた。