【結び】なんちゃらハラスメント

おいたち, なんちゃらハラスメント

ここまで、ハラスメントについて自身の体験を綴ってきた。

これほどまで同じようなことが続くと、自分に原因があるからでは?と思ったり考えたりもしてきた。
色々考え、ふり返ってもきたが、ハラスメント=心の中にあるコンプレックスやプライド、嫉妬などが刺激されたときの過剰反応、のように思えている。

たとえばコンプレックス。これは誰もがみな心に抱き、人には知られたくない、隠している、隠そうとしている部分だ。
このコンプレックスが表面化する(人に知られたり、人から指摘されたり、自分自身で自覚する)と、自信を失いそうになったり、
「自分は必要とされているのだろうか?」と不安に感じることがあるかと思う。

この不安が人一倍大きく、「自分が必要とされなくなるかもしれない」と過剰に意識、反応するとハラスメントに至る。
不安の元であるその出来事や人物を、目の前から排除してしまおうとするのだ。

そのため、相手が弱まれば弱まるほど、不安が減少し、自信や存在価値を大きく感じ、精神が保たれる。
相手が抵抗するなどして平気に見えると、度合いをどんどん強めていく。

自身を守るがための過剰な反応であり、プライドや嫉妬も同様だと思えている。
ハラスメントを行う人は、とても臆病で、気が弱いのかもしれない。

 

経験からすると、心の中に一旦「排除すべし!」とインプットされたモードは、相手がどんなに歩み寄りの態度を示しても、そうそう切り替わることはない。
それどころか、むしろヒートアップする。

なので、あまりに度を越えたイジメ、ハラスメントに対しては、我慢するよりも逃げ出すのが一番、と個人的には思えている。

逃げ出すというのは「負け」みたいにも聞こえるが、そうじゃない。
自分を守るために、自分を安全な場所に避難させるだけである。

こどもの場合、転校、引っ越しなど逃げる選択、行動を自らとるのが不可能で、「親に迷惑や心配をかけたくない」と内緒にすることが多い。
悲しい報道がある都度、内緒にしないで相談してほしい、といつも思う。

ハラスメント常習者がのさばっていられるような環境は、土壌が腐っている。
そのような場所に根をおろすより、栄養たっぷりの土壌で生き生きと根を張った方がいい。大いに成長できる。

志しを自ら閉ざすのはよくないことだ、という思いから、極限以上に頑張ってしまったり、
志しを自ら閉ざしてしまったことに対し、罪悪感、やるせなさを抱き続けることもあるかもしれない。
実際、私はそうだった。そういう過程を経てきたと思う。

でも気付いた。

諦めたり逃げ出したりすることは、必ずしも悪いことではない。
それは自分で出したひとつの答え、ひとつの選択。
自分自身の答え、選択に自信を持つことは大切だ。

これまで頑張ってきたもの、頑張ってきた時間、全てが無駄になるかもしれないという不安があるかもしれない、無駄になってしまったという失意を抱くことがあるかもしれない。

実は私自身、自分がやってきたことが無駄だった、無駄になってしまったという思いを一時は抱えこんでいた。

カモミール『苦難に耐える』『逆境で生まれる力』 (photo by photoAC)

でも、今は違う。今は言える。

人生に無駄なことなど何もない。
全てのことに意味がある。

しなやかな強さを得て
次に歩き出そう。

ハラスメント

Posted by Sun



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