番外編 子どもに起こった出来事2
前回の話はこちら
手術を無事に終え退院した。
退院して一番に子どもを連れてあのショッピングセンターに行った。
しかし子どもは何もかにも怖がって、気が狂ったように泣き叫んで乗り物に乗るどころではなかった。その場に居ることさえ出来ず、すぐに帰宅した。
その後、子どもは大好きだったお風呂も、ごはん(離乳食)を食べることも服を着ることも泣き叫んで拒絶した。体に衣服や床が触れることさえ嫌がり、一日中ほとんど寝ることなく泣き続けた。泣いてない時は部屋の一番隅っこで体を丸めて小さくまんまるくなって、微動だにしない。狂ったように泣いた果てに窒息することもしばしば起こるようになる。
小児科医で診てもらうが体に異常はないという。
日に何度も窒息している子どもを見て危険を感じた私は、居住地の保健センターに設置されていた”こころの相談窓口”に相談した。
すぐに専門の先生に見てもらいましょう、ということになった。
結果は「自閉症の一歩手前。このまま自閉症に移行するおそれがある。おそらく今後成長が止まり、体も大きくならないでしょう。」ということだった。「大変危険な状態です。すぐにカウンセリングを始めましょう」と先生が言った。
先生が言っていたとおり、その後子どもの身長や体重は全く増えなくなった。
それまでは順調に成長し寝返りもできるようになっていたが、それからはハイハイ、つかまり立ち、発語…、本来ならその時期に出来るようになるものが、時期を一年、二年、三年と過ぎても出来なかった。
子どもの成長が止まってしまった。笑うこともなくなった。
人間は生まれながらにして自衛本能を持っており、生命に危険を感じるとそれが働くそうだ。
突然知らない大人たちばかりに囲まれて自分の生命に危険を感じ、自衛本能により自分の周りに殻を作って身を守ろうとした。その結果、厚い殻の中に閉じこもってしまった。
子どもの成長は体と心(精神)の両方がともなってなされるため、心を閉ざしたことにより成長も止まった、ということであった。
カウンセリングが始まった。
幼児のカウンセリングはプレイセラピーといわれるもので、遊具、おもちゃなど遊びを使って行う。
子どもはおもちゃでさえ怖がった。
一年を経過してもおもちゃに全く目を向けず、石のように固まって地面の一点をただじ~っと見つめているだけだった。
怖がりの度合は月日を追うごとに減少するのではなく、むしろ増幅していった。
「自閉傾向だけでなく、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っています。」と説明される。(PTSDという言葉は当時はまだそうポピュラーなものでなく、私はこの時に初めてこの言葉を知った。)
連れ去られたのは数時間であったが、生命を恐れるような恐怖がその短い時間に凝縮していたためPTSDに至ったようだ。
連れ去りのあと、数日そこで過ごしていた方がむしろよかったそうだ。そうすると置かれた環境に適応しようとする本能が働いて、ここまでには至らなかったであろう、ということだった。
「置かれた環境に適応しようとする本能」、それを聞いて私は自身の入院生活のことを思い出していた。
やはり人間はそういう本能(置かれている環境に適応しようとする本能)を持っていたのだ、人間は限りない可能性を秘めている。
どうか自分の子どもにも何らかの可能性がありますように…、そう願った。
カウンセリングは遅々として進まなかったが、「とにかく可能性を信じましょう。焦らず心が開くまで待ちましょう」そう励まされながら通い続けた。
三年を経過しても子どもの成長は止まったままだった。(次回へつづく)