語り継がれる(おいたちより)

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珈琲店で勤める以前はコーヒーは苦いので全く飲めなかった。
コーヒー牛乳とカフェオレしか飲めない「お子様」であった。
そんな私にマスターが「Sunちゃん、本当に美味しいコーヒーは砂糖を入れなくても甘いんだよ。ちょっとこれを飲んでごらん」とほんの少量のドリップしたてのコーヒーをすすめてくれた。
半信半疑で口にすると、本当にそのコーヒーは苦くなかった。
ブラックなのにほのかに甘さがあった。
いつしか私はコーヒーが大好きになった。
砂糖もミルクも入れず、ブラックで飲むようになった。

マスターはコーヒーに対する想い入れがとても深かったが、お客さんへの想い入れも大変深かった。
初めて訪れたお客さんが何を注文し、砂糖やミルクを入れたかを必ず覚え、再びそのお客さんが来店した際は「(前回と同じ)○○で宜しいですか?」と尋ね、砂糖やミルクは前回同様に準備する。

「もしSunちゃんがお客さんだったとしても、二度目のお店で自分のことを覚えてくれていたら嬉しいでしょ」ということだった。

たしかに、常連のお客さんは(例外もあるが)いつも同じ銘柄で、砂糖やミルクの量も決まっている、という人がほとんどだ。
再びお店に来てくれた人は「常連になろうかな」と思いながら来店されたのかもしれない。だから常連のお客さんとしてのおもてなしをすることが大切、というわけだ。
しかし最初のうちはなかなか覚えられず、よく叱られていた。

このお客さんに対する心遣い、
これはあらゆる職業において通用することのように思う。
私はこのお店でコーヒーのことのみならず、多くのことを学んだ。
そしてその間に多くの失敗もした。

コーヒーをこよなく愛するマスターがドリップした美味しいコーヒーのイメージ画像

あれは勤めはじめてまだ間がない頃だった。
お店にはオーダー表がなく、お客さんから聞いた注文を口頭でマスターに伝えるシステムだった。(例えばブレンドコーヒー1つの注文なら「ブレンドワン」、モカが3つなら「モカスリー」と言ってオーダーを通す。)
私はまだ店で扱っている銘柄を全て覚えきれていなかった。

ある日、初めて店に訪れたお客さんが「モンブランください」と言った。
私はなんの躊躇もなく「モンブランワンです」とオーダーを通した。
その瞬間、ドリップするマスターの手が止まった。
次の瞬間、マスターは大爆笑している。
カウンターに座っていた常連さんたちも大ウケしている。

「Sunちゃん、それ、ケーキだよ。うちの店、コーヒーしか出してないよ。
ケーキは置いてないから(笑、笑、笑)」、ウケまくりのマスター。

コーヒーの銘柄はキリマンジャロやブルーマウンテンなど、山の名が結構ある。どうやらお客さんは何かの銘柄と勘違いしていたようだ。
「モンブラン」といえばたしかにケーキである。
しかし私は「モンブランというコーヒーもあるのかー」とその時は思った。

モンブランケーキの画像
(Photos by photoAC)

時を経た今も、マスターは新しく入ってきたスタッフに必ずこの話をする。
私はこの店で後世語り継がれる人間となった。
(私のアホぶりが後世語り継がれている、ということでもある。)