なんちゃらハラスメント【看護の職場】
(今回の記事は後半が少々Heavyな内容となっております。)
看護学校を中退後、一般企業で事務職として働いた。
しかし、看護職を完全に諦められなかったのだろう。
年齢も考えると再チャレンジをするのなら今しかないと意を決し、もう一度看護の世界に飛び込んだ。病院に就職した。
小さなクリニック、常勤看護師は私を含め2名、パートが1名。
しかしそこは、看護学校時代を思い起こさせるような世界だった。
最初からそうではなかった。そうなったのには、きっかけがあった。
ひとつ目のきっかけは「トイレットペーパー」だった。
スタッフも患者さんも使うトイレのトイレットペーパーを、三角折りにするか、しないか、で先輩と話し合った。
トイレには手を洗う設備がなかった。
私は「感染上、衛生上、折らない方がいいと思う。」だった。
先輩は「三角に折るのは社会の常識。必ず折るべき。」だった。
そして「社会の常識を知らないあなたは非常識!」ということだった。
それ以降、私は先輩の意見に従った。(手を洗って)三角に折った。
先輩はそれ以降、「だからあなたはトイレットペーパーなのよ!」と、常日頃、何においてもトイレットペーパーの話を持ち出した、結びつけた。
それは3カ月が過ぎても続いた。
「トイレットペーパー」が水に流されることはなかった。
それまでは仲良しだった先輩と私。
ギクシャクの始まりは「トイレットペーパー」だった。
ふたつめは決定的だった。
ある日私は、車いすで来院された患者さんを手助けした。大したことではなく、ちょっとした手助けだった。
その後、患者さんとご家族が「大変感動した」と院長先生に話され、院長先生がスタッフみんなの前で、「君は看護師のかがみだ。」と私のことを褒められた。
その直後、「看護はチームプレイなのよ!スタンドプレーはしないでよね!」と先輩から叱責を受けた。
「チームプレイができないあなたは看護の適性がありません。今後看護の仕事はさせられません。これからは掃除婦をやってください。」と言われた。
翌日から先輩の指示で、私は看護師として現場に立つこと、院長や医師に近づいたり会話をすることが一切禁止となった。
(ドジでノロマな亀でおなじみの『スチュワーデス物語』みたいな展開。)
以降、患者さんが居ない時間帯は清掃婦、他は一日中反省レポートを書いた。
先輩がチェックし、OKが出るまで書き直すというもので、帰宅後も書き続けた。看護学校の時とまるで同じだった。
その合間、「叱るなら皆の目の前で叱ってください」と拒否をするも、無理やり個室に引きずり込まれ、人間が出来ていない、看護師に向いてない、早く辞めるべき、と先輩から叱責を受けた。半時間~1、2時間、日に何度も、であった。
現場に立つのは一切禁止だったが、時おり突然、先輩から指示があった。
それまでに指導を受けたり、練習したことがない手技を「今教えるので、今すぐやってちょうだい」というものだった。
最初の指示は先輩でさえ緊張して行っている造影剤の注射だった。もし漏れたら患者さんが皮膚損傷を起こす。
「出来ません。練習してからやらせて下さい」とお願いしても許されなかった。
ことなく実施してきたが、毎回とてつもない緊張とプレッシャーだった。
はじめは「そうやって鍛えてくれているのかもしれない」と良い方に解釈したが、それは間違いだった。
一度だけ、最初の一回だけドッキリでさせられるのみで、リピートはなかった。
以降も現場に立つことは禁止で、人間が出来ていない、看護師に向いていない、早く辞めるべき、という叱責は続いた。
ある日、「患者さんの造影剤が漏れていないかを観察して」と先輩に指示され、レントゲン室に入った。
ガラス越しにこちらを見ている先輩に「部屋から出ていいですか?」と言葉とジェスチャーで何度か伝えるも、OKの指示が出ない。
先輩がこちらを見てニヤッと笑った。その瞬間、撮影が始まった。
先輩は、私が部屋に居ることをレントゲン技師に伝えなかった。
撮影が終了するまで部屋に居る羽目になった。当然被爆した。
他いろいろあり、私は精神的にかなりダメージを受けていた。
ある日、私は急激な腹痛に襲われ、大量に下血した。
お尻からの大量出血に、最初は「痔か?」と思ったがそうではなく、腸から出血していて緊急入院だった。虚血性大腸炎だった。
(便秘がこの病気を誘発するが、それだけでなく、ストレスも誘因となる。)
退院し職場に復帰した。力むとまだ腸から出血するので職場に伝えてあったが、先輩はあえて力む作業を指示した。
とうとうここで私はギブアップした。
院長先生に「辞めないで」と引き留められたが、もう限界だった。
学校でのこと、職場でのこと、
看護に対する信頼は見事にぶっ飛んだ。
私は尻尾を巻いて逃げ出したのであった。
ちなみに、三角折りは1966年、銀座の高級クラブ「クラブ順子」のママが逆さ富士をイメージして始めたという。
先輩が「社会の常識」と言ったのに対し、思わず吹き出しそうになるのを必死でこらえたことは確かである。