父 見つかる 。(おいたちより)
不思議な引き合わせ。 父 見つかる 。
父 見つかる 。
(前回の経緯 父が行方不明になる。
「父は何処に?」👉こちら)
お父さんはいったいどこに居るのだろう。無事に生きているのだろうか?
お父さん、孫が出来たよ。
お父さんが居たらきっと喜んでくれたことだろう。
さぞかし孫をかわいがっていることだろう。
お父さん、会いたいよ、どこに居るの?
ずっとそう思いながら色々あたってきていたが、数年以上経ても父の消息は依然わからないままであった。
こどもの頃から毎年お正月に家族みんなで神社に初詣に行った。
その神社はちっちゃい神社だった。だけどご利益があるのか、お正月にはいつもたくさんの参拝客がいた。
お正月以外の時はひと気がほとんどなく閑散としていたその神社に、私はある日お参りに行った。
そして「お父さんが見つかりますように」とお願い事をした。
不思議なことにそれからしばらくして父の消息が判明した。
とあるショッピングセンターで買い物中に、むかし父方の親族に嫁いでおられた女性とたまたま出逢った。
その方は私が赤ちゃんの頃に近所に住んでいて、私をとてもかわいがってくれていた人だった。
ショッピングセンターでは立ち話でお別れしたが、久々にお会いしてあまりに懐かしかったので、その日の夜、その方に電話をかけた。
お互いの近況など話した後、「お父さんの行方が分からない」という話をした。
するとその方が「もしかしたらお父さんは〇〇という会社で働いているかもしれない」と言う。
父の親族を通じ「そこで働いている」と何年か前に聞いたことがあると言う。
その会社はどこにあるのかとりあえず教えてもらった。
父が居るかもしれない、という地はある島だった。
うちからだと港から船に乗って一時間くらいで行ける所だった。
会社名から電話番号を調べそこに電話した。
父の名前を告げると「そこで働いている」と言う。
見つかった。生きてた。
父は作業に出ていて社内には居ないということなので、こちらの連絡先を伝えて電話を切った。
子どもの頃に家族みんなでお参りしていた神社、あの神社でお参りして一週間後のことだった。
もしかしたら私の想いが通じたのかもしれない。
私はこれまで生きてきて、何度かこういった不思議な引き合わせ、不思議な引き寄せを体験したことがある。
この時に父の消息が分かっていなかったら、父とはあの電話のやりとりを最後に、永遠にお別れになっていたかもしれない。
それを思うとこの時点で父の消息が判明したことは今でもとても不思議であり、もしかしたら運命であったのかもしれない、と思えたりもする。
その後父から連絡があった。
あのあと(奥さんと子どもが出て行ったあと)、父は家を出たそうだ。
死のうと思って死に場所を探していたところ、ある女性と出逢って助けられ、今はその女性と一緒に居ると言う。
これまでどうして連絡くれなかったの?とかそんなことなど思いもしなかった。
とにかく見つかって良かった、生きててよかった、と思った。
しかし、これまでどうして連絡をくれなかったのか?その理由がこの時に分かっていれば、父はあのような最期を迎えずにすんでいたのかもしれない。
「とりあえずなにかはじめてみる」と始めたこのブログ、このブログには私自身のおいたちや日々のとりとめのないことを綴っているが、それと同時に「父が生きた証(あかし)を残したい!」という想いがここにある。
その理由、経緯については、これから先おいおいに明らかにしていこうと思う。
(つづきはまた)