釣り場開拓 の思い出
ファミリー史 釣り場開拓
今回は、我が家における 釣り場開拓 のエピソード をご紹介。
昨夜、録画撮りしていた「 よゐこの無人島0円生活 」を見る。
「よゐこの無人島0円生活」を見ていると、父のこと、昔のことを思い出す。
子どもの頃、我が家では釣り場を開拓する中で、この番組とよく似たことをしていた思い出がある。
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私の父はアドベンチャーが好きだった。
特に海と釣りが大好きであった。
だが、人が大勢釣っている釣り場で釣りをするのは全く好んでいなかった。
理由はふたつあった。
ひとつめは、人が大勢釣っている釣り場の魚は賢くて釣りにくいということだった。釣りをしているのが魚にバレバレということらしい。
ふたつめは、父は酒にはめっぽう強いが、人波が苦手で人に酔う人であった。(過去記事でふれたことがあるが、これは私にも遺伝している。)
そのため、我が家では人が全く居ない釣り場を開拓し、そこで釣りをすることが多かった。
どのようにして人が居ない釣り場を開拓したのかというと…
まず海沿いの山道を車で登り、駐車スペースを探す。
駐車スペースに車を停め、釣り道具と海での必需品をひっさげ、今度は来た道をガードレール沿いに徒歩で下る。
下りながら眼下(崖下)に見える海岸を物色し、「釣れそうだ!」と思える地点が見つかると、子供達には軍手が手渡された。
(初めての時は「なぜ軍手?」と思った。)
ここからはガードレールをまたいで草木の茂みに入り、眼下の海岸を目指す。
父が木枝を切り倒し進んでいくのでそのあとに続く。
軍手で木枝を横に押しやり踏み倒しながら父のあとをついていく。
春先、夏場は蛇に遭遇したりすることもある。
こうして辿り着いた先の海岸は当然、人っ子ひとりいないプライベートビーチ。
洞穴や木枝を利用して持ってきたビニールシートで屋根を張り、漂流木や岩でテーブルを作り、拾ってきた木々で火を起こす。
釣り餌(ゴカイ)はここで採取し、その餌で釣る。
参考までに、ゴカイは水際より2~3メートルほど上に行ったあたり(水気はないが砂は少々湿っている所)にある大きめの石をはぐると、大抵そこに居る。すぐに砂に潜るため、石をはぐるやいなや即座に捕獲しなければならない。
水中や岩場で獲った海藻、貝、ウニ、タコ、ナマコ、様々な魚、それらを浜辺で調理して食べる。
さながら0円生活であった。
ちなみに、
見つけた釣り場への道は最初は背丈以上の草が生い茂る藪だったが、私たち一家が足しげく何度も通ううちに道(=獣道)が出来ていった。
道が出来るとやがて人が大勢訪れるようになり、そうなるとまた新たな釣り場を探し求めた。
父は釣りだけでなく、よゐこの濱口さんのように魚も突いてきた。(スーツ非着用、海パンもしくはパンツ一丁での魚突き。)
「よゐこの無人島0円生活」を見ていて、そういった昔のことや父のことを思い出していた。
それにしても、真冬の海、無人島で三日間も過ごすとは、よゐこは凄い。
濱口さんの見事な魚突きを見ていると、父から魚突きを教わっておけばよかったな、といつも思う。
私はこれまでに魚突きをしたことが一度もない。
父からは色々なことを教わってきたが、魚の突き方は教わらなかった。
当時、私は素潜りが全く出来なかったからである。
今では潜れるようになり、シュノーケリングもする。だが、自分の意に反し水面に「プカっ」と浮き上がることが多々あり、潜るのは超ヘタクソである。
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深夜、ものすごく寒気がして目が覚めた。
「よゐこの無人島0円生活」を見ながら、暖房器具が点いていない部屋で知らずうちに寝落ちしてしまっていた。
よゐこの有野さんは真冬の海をパンツ一丁で泳いでも全く元気であったが、私の方は目覚めて以来、頭がガンガンして悪寒が止まらない。
どうやら風邪をひいてしまったようである。
早めに風邪薬を飲んで、栄養や睡眠をたっぷりとって風邪をさっさと撃退しなければ!!
夜間の冷え込みがキツイ今時期、「寝落ち・うたた寝には要注意!」である。
皆様もどうぞお気をつけください。