「 思い出の場所 」

「 思い出の場所 」ハゼがいっぱい釣れた釣り場

父との「 思い出の場所 」近くに現在居住。思い出に浸る。

引っ越しから約一か月。
荷物はまだ全て片付けきれていない。が、少し落ち着いてきた。
父の居場所もこの通り確保。

母にとってはあまり目にしたくないものであろうから(同じ離婚経験者として、そう思うので)、あえて母の目には触れない場所である。

ご覧のとおり、仏壇はない。父の位牌もない。
生まれてすぐに亡くなった末妹と共に弔っている。
遺影写真は父が亡くなる半年前に、父の自宅を訪ねた際に撮ったスナップ写真。

父との別れは、義母が間借りした葬儀屋の親族待合室で納棺のみ。
遺品は何ひとつなく、私の手元にあるのは上の写真と、10年以上ぶりに再会した時に残されていた下の写真だけだ。
写真の隅っこに写った父
それとは別に、父が若かりし頃の、大昔の写真は今でも我が家にたくさん残っている。そのうちの一枚。

いちおう顔出しは控えておこう。
私の誕生時の写真である。
ちなみに父と母が出逢ったのは九州。私は九州生まれである。

現在私が住んでいるのは四国、海のすぐ近くである。
昔、父、母、妹たちと暮らしていた実家は、ここより少し離れた町にあった。
今住んでいるところは、家族みんなで毎日のように釣りに来ていた場所である。

あたりは埋め立てによって現在は住宅地と化しているが、昔は塩田(えんでん)があった。
塩づくりには色々な方法があるが、40年ほど前は流下式塩田跡が見られていた。(写真は塩百科より)

流下式塩田 http://www.shiojigyo.com/

釣り場近くの塩田跡地の空き地には、巨大な土管がたくさん置いてあった。
釣りの合間に、自分の背丈より大きなその土管にもぐり込み、よく遊んでいた。
(ドラえもんの主人公のび太も、土管の中でよく過ごしているのを見かけるが、のちにアスベストの問題が騒がれた際、自分が遊んでいた土管がアスベストで出来たものだと知り、驚愕を受けた。)

父は単身赴任が多く家に居ることはほとんどなかったが、当時、地元に大きな大学病院が建設されることになり、その造成工事のため、一時期だけ自宅通いした。(この病院は、後に私が出産の際に長期入院した病院である。)
父は毎日仕事から帰ると家族を誘い、この場所で釣りをした。
雨の日もカッパまで着てこの場所で父と釣りをした。
釣りをしていたのは写真の地点である。

当時、橋はコンクリート製の床板のみで、橋の上の道路の幅は車一台が通れるほどだった。
下手をすれば落っこちそうになりながら、床板に腰かけて釣りをしていた。
ハゼ狙いだが、毎回バケツいっぱいになるほど、面白いほどよく釣れた。
この頃の夕食は、ハゼの塩焼き、ハゼの味噌汁、ハゼのから揚げ…、とハゼ三昧であった。

ここはいにしえの地、思い出深い地だ。
あれから40年近く経た今、ここに暮らしているというのは何かしら不思議な感じがする。
しかも今は母と共に暮らしている。
父は「お母さんのところに帰りたい」、「みんなの元へ帰りたい」「四国に帰りたい」と言っていたが、それがやっと叶った、そんな風にも思える。

最後の写真は、思い出の釣り場近くで、私の娘が生まれて初めて釣りをした時のものである。
  

寒い中、すっかり日が暮れたので「帰ろう」と言っても釣り竿を全く手放そうとせず、釣りに興じた我が娘。釣り好きの血は孫の代まで及んでいるのであった。