What were you doing?

Sun の ホット な 話題, 写真

先の地震や台風で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。

このところ記事の更新、みなさまのブログへのご訪問もすっかりご無沙汰になってしまい、誠にすみません。
なにやらかにやら色々あり、そうこうしているうちにハマグリの記事から一か月以上過ぎ、あっという間に10月になってしまいました。
もしかして、皆様の脳裏から消え去ってしまったかも…、そんな焦りや不安を少なからず抱きつつも、今日の記事、スタートいたします。

今日のBGM👇

What were you doing?

What were you doing?

さて、今回は一体何から話をすればよいだろう?
というのも、
ちょっとご無沙汰していた間に、私は自分探しの冒険に出掛け、
その途中、いろいろなものに出会い、色々な出来事があり、
今後のおいたちに特筆すべきことになるであろう出来事にも遭遇し、
今現在、いろいろなこと、いろいろな出来事を整理している最中である。
いったい何から説明すればいいのか、ちょっととまどっていたりもしている。

とりあえず、これまでに私が特筆してきたのは、先にアップした「タツノオトシゴ」、「ところてん」、「ハマグリ」であったが、その他に、

先月は家の近所(以前サギがいた所)でこんな奴を発見!
汽水域を遊泳中のエイエイである。エイちゃん、である。(見れば分かる。)

でもって、また違う日は
自宅ベランダでこんな奴👇に遭遇。
巨大なアオズムカデ
写真は体半分が土の中に埋まっている状態だが、太さ5mmほどの巨大ムカデ。
素手で園芸作業している時、プランターの土の中から這い出てきたので、発見時は卒倒しそうになった。

半泣きで「ありがたくない記念写真」を撮影し、すぐさまSNSにアップ。
「どうしたらいいですかー?」と対処法を尋ねた。
さすがSNS、しばらくして「火箸を持っていませんか?」とアドバイスを頂く。しかし、うちには菜箸しかない。

仕方なく、やむなく、意を決し、泣きながら菜箸でつかまえたじょ~
とにかく怖かったじょ~
ちなみにこちらのムカデ、通常よく見かけるムカデより毒性がつよいアオズムカデと思われ。
ネスカフェエクセラの特大ビンに入っている状態で
写真のような大きさ。👇
ネスカフェの特大瓶に入った巨大ムカデの写真(それにしても相変わらず「いきものネタ」が多い。)

そしてある時はまた、夜の海で波間に浮かぶこんなものを発見👇
なんだこれは?
夜の海に浮かんだものの写真。アップ写真👇

よりによって両手分ある。怖すぎ~っ。
一瞬、最悪の状況が脳裏をかすめる。しかし実際は、
とってもホラーなただの「ゴム手袋」であった。

で、これらの写真を見た知り合いのうち、大概の人は、
「で、Sunはいったい何をやっていたわけ?」と言う。

What were you doing?

そうそう私、実は、
この春から地元出身の写真家 所幸則氏の写真講座に参加、教えを受けていた。
所氏は国内外で高い評価を受けているファインアートフォトグラファー。
半年という短い期間だが、この間に私は写真を「アートして撮る」ということを学んだ。

なぜこの写真を撮ることに至ったのか?
なぜこの写真を撮りたくなったのか?
どうやって生きてきて、どうやって暮してきたのか。
その人なりの、その人だからこそ撮れる写真、
それがアートだ、と所氏から学んだ。

気が付いたら私は毎日海辺で写真を撮りまくっていた。
打ち寄せる波、海に向かってシャッターを切っていた。
今は亡き父と会話をしながら、懐かしい時、懐かしい風景を思い浮かべながら、シャッターを切る。
まるで、子どもの頃の思い出に向かってシャッターを切るかのようにシャッターを切る。

過去や思い出だけじゃない。
未来や希望に向かい、シャッターを切る。
これ以上大きな災害が起きませんように、と願いを込め、祈りを込め、シャッターを切る。

こうして私は毎日足しげく海辺に通い、写真を撮り続けた。
大げさではなく、魂を込めてシャッターを切った。
アートとしての写真を撮り続けた。
おかげで私は、頭の先から足の先まで真っ黒けっけになった。
「サーフィンしているの?」としょっちゅう言われた。
私が毎日海辺に訪れていたのは、実はこのような理由から、であった。

今私は、「写真家になりたい!」いや、「写真家に絶対になる!」と本気で思っている。
ただただ素人であった私が、このように考えるなんて、おそれ多いことだと思う。アホかもしれない。けれども、

これほど自分が「やりたい!」と思うことはこれまでになかった。
「絶対にこれだけは達成したい!」と心底思った。
だからその気持ちに照準を合わそう、と思った。マジだ。本気である。

私が「写真家になりたい!」いや、「写真家に絶対になる!」、そのように思うようなったこと、
これは今思うととても不思議なめぐり合わせ、不思議なタイミング、不思議な出来事に思えている。

所幸則氏の作品の中で一番好きなのは「うさぎガールと黒縁眼鏡」シリーズだ。
この作品は所氏と娘さん(当時7歳)のコラボによって生まれた作品。
「僕に残された時間に比べると、彼女にはより多くの時間があるように感じられるから、それが羨ましくもある。僕にできることは、彼女とのかけがえのない時間を美しく止めておくことだと感じて作品にすることにした。One Two Jump !そうやって娘と僕の物語がつづられるんだ。」と所氏。
まさしく、父親の「娘に対する想い」が詰まった作品だ。

そして、私が「撮りたい!」と心底思い、撮り続けていた写真、
それは、父に対する想いや思い出、に他ならなかった。
この歳になって写真を真剣に学ぼうとしたこと、
その師が、父と娘のかけがえのない時間を作品にされている所氏であったこと、
なんだか少しだけ、不思議なめぐり合わせを感じた。
でもこのときは、まだ「少しだけ」であった。

それから後、
痩せたい ! なんとしても痩せなければ!の記事で少し触れたが、このところ時おり足膝の関節に水が溜まり脚が腫れたり曲げらなくなって困るようになった。
病院にかかり「膠原病の疑い」ということであれこれ検査をしたが、検査上の異常は見られず、「原因不明の炎症」と診断された。

それからしばらくして、今度は口内炎がいっぱい出来て、腕に痛みを伴った赤い結節(結節性紅斑)が出来た。
自らの知識だと、これらはベーチェット病でみられる典型的な症状だった。
この時点で、以前の虚血性大腸炎で入院鼻血で生まれて初めての救急車、の件を思い出した。
どちらも「原因不明」と診断されていたが、よくよく考えると血管性病変であり、ベーチェット病に結び付く。

もう一度病院に行き、その旨を医師に伝えた。
ベーチェット病の検査として、HLA(ヒト白血球抗原)を調べることになった。
私が住んでいる地域では施行されていない検査だそうで、採血した血液を飛行機に乗せて東京に運び、検査するという。
そのため結果が出るのに少々日を要する、ということで後日また結果を聞きに行くことになった。

検査の結果、HLA-B51 抗原陽性。見事にHIT、であった。
医師から今後起こりうる症状について説明があった。
しかし診断は「ベーチェット病の疑い」ということであった。
医師曰く、この病気は国の指定難病のひとつで、以前は診断と同時に医療費の補助など受けられる病気であったが、厚生労働省の基準が変更になって、現在はこの病気で「薬で治療中」「失明する」といった重症例でないと、指定難病として認めてもらえないそうである。
だから症状が比較的軽く、薬で治療をしていない場合、「疑い」になるのだそうだ。
そうでなくても検査や処置で結構医療費がかかっていたので、「それでは困ります!」と私は医師に言った。
すると、「
今後は症状がものすごく重くなるまで病院には行かないことです。そうすれば、そんなにお金はかかりませんから。」と医師が言った。いまどき、国や医師がこんなことを言う世の中になってきたのか…、と正直なところ驚いたし、ゾッとした一瞬だった。

HLA-B51 陽性は眼病により失明に至るケースが多い。
そのため、今後は眼科専門医で定期的に診てもらうことになった。(ここでは「疑い」でなく、しっかり「確定」されているという矛盾。)

正直なところ、「写真家になる!」と思っていたところのこれなので、少々ショックを受けた。
が、逆に色々なことが偶然にも重なった、ある時期に一極集中したことが、今思うと凄く不思議に思えている。
もしかすると、全てのことが何か特別なこと、意味があることなのかもしれない。

HLA-B51が 陽性だからといって、必ず失明するというわけではない。
もし先々失明するとしても、今すぐというわけではない。それより先に「写真で頑張ろう」と思ったこと、気付いたこと、これはありがたいことでもある。
もし失明したら、そのあと自分は何が出来るか、どうやっていけばいいのか、そういったことを今から考えておくことも出来る。

まぁ、なんにせよ、私の「おいたち」において、今後も特筆すべき事柄のひとつ、だと思われる。
それにしても、ネタ多すぎ、である(笑)。